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My Little Flyfishing Notebook
僕の小さなフライフィッシング・ノートブック  My Little Flyfishing Notebook

2.0 フライを巻く際のポイントとは何か Tips for Tying and Inventing flies
 
2.0 フライを巻く際のポイントとは何か Tips for Tying and Inventing flies

工芸品としてのフライ
 長い長いフライフィッシングの歴史からいえば、フライタイイングあるいは様々なとフライパターンを「伝統工芸品」(Art Craft)ととらえることは十分に可能である。工芸品としての毛針という概念がいまいちピンと来ないむきには、是非沢田賢一郎氏の世界的にも著名なパターンブックを一度開いてみてほしい。彼の手になるフライたちの美しさに僕はいつも息をのむ。こんな美しいフライを巻いてみたい。そう思わないことはない。沢田ブランドの毛針を一度も使ったことがないのにいうのは気が引けるのだが、これはやはり「職人」の手になる「芸術品」というべきクオリティを持っていると思われる。


沢田氏のフライ。国分寺にある大学で非常勤を持っているので、結構店を冷やかしに行きます。

道具としてのフライ
 しかし、そのような工芸品を上手に作ることのできる器用な人もいれば、そういったものをみるか買うかもらうかするほかない極めて不器用な人もいる。

 僕は、明らかに後者だ。もっとも、日本人=ミニマリストというイメージは海外ではすこぶる強いようだ。YorkshireのBolton Abbeyに釣りに行ったとき、向こうのリバーキーパーだったマイクに「日本人は器用で、CDCフライが得意なんだろう?君のそのボックスにあるpretty little Thingを一つ僕に譲ってほしい」とせがまれて非常に困惑したことがある。僕の巻いたCDCフライが日本代表としなってしまっては、田代さんや島崎さんにまことに申し訳ない。「日本人というものは須く器用である」と観念するのは、アメリカ人がすべてヤンキーで、イギリス人がすべて紳士だと思うくらい、非現実的な態度である。
 
 そんな僕は、とおの昔に、フライを綺麗に巻くということを諦めてしまった。僕にとって、フライとは工芸品ではない。フライは僕にとってはあくまで魚を釣るための「道具」にほかならない。しかし、道具にも誇りがある。日本人は機能性を重視して、しかも美しい道具を作ることにも長けていた。僕は、どうせこの釣りをやるのなら、そうした機能美を目指して毛針を巻きたいと思っている。しかも、機能には科学的な合理性が伴っていなければならない。更にいえば、そういった機能を、場所や季節にしたがって使い分けてこそ、フライフィッシングの「創造性」と「戦略性」が存分に味わえるものなのである

2.1. フライを「結ぶ」か「着飾る」か Do you tie or dress your fly?
 今、僕は、昔秩父で遭遇した名前も知らないある餌師を思い出している。
 
 2006年の8月の日曜日、朝はやくから人づてに聞いたある川に入渓した僕。しかし、そのころ僕の愛用していたALTMOREの8フィート5番の竿は、昼過ぎまで曲がることがなく、僕のフルーガーメダリストもむなしくラチェット音を響かせていた。やがて僕の30メートル位先を餌師が釣っているのが見えた。「そうか、先行者のせいだ」と、僕は自分を慰めはじめていたが、彼は遠目でみたかぎりでも時々竿を曲げていたようだった。
 
 夕刻前、彼が脱渓の為に川を下ってきたときまで、僕は彼との距離をずいぶん広げていた。彼とすれ違うとき彼のハリスの先に、なにやら赤いものが結ばれているのを見つけた。それに気づいたのだろう、おそらくは50過ぎくらいの、小柄で色黒で、明らかに源流や沢での釣りを趣味としていると思われる引き締まった顔の彼は、にやっと笑って竿先を僕に突き出しながら、「これ、毛糸」と言ったのを今でも忘れられずにいる。
 
 僕は毛糸でイワナを釣ったことはない。しかし、確かに毛糸でも魚は釣れる。それは、あのときの情景を時々思い出すと(悔しいほど)よくわかる。
 
 しかし、僕は、フライは「毛糸」ではないと思う。フライは「皮ひも」でもないし、ただの「ケムクジャラ」でもない。というか、そうあってはいけないものだと思う。
 
 僕は僕なりにベストを尽くしてフライをドレス(dress)している。フライを巻くという動作を「タイイング」と呼ぶのがおそらく一般的だと思うが、タイイングとは文字通り「結ぶ」ということで、靴ひもを結ぶのもタイ(tie)という。フライを巻くのと靴ひもを結ぶのとが同じ種類の動作だとは思いたくない。僕はやはりフライは着飾りたい(dress)と思う。それが僕のささやかな美学である。

2..2 フライを「着崩す」 Dress your fly roughly but intentionally

フライを「着崩す」?
しかし、不器用な僕はせいぜいフライを「着崩した」風に飾ってあげることくらいしかできない。
 
 僕は、この着崩したフライという概念が大好きである。着崩すとは、もちろん、例えばシャツを着るとき、胸のボタンを一番上まできちんと留めるのではなく、三番目あたりまではずしながら、それでもそれは普段着ではないように見えると言う風なドレスアップのことである。
 
 だから、それはだらしなく巻くということではない。見せ方を考えて巻くということである。ここが重要なのだ。 この「見せ方を考えてフライを着崩す」という発想は、森村義博氏の次のような発言から得たものである。引用してみよう。

 「人間も、魚も、動物も、ぱっと見て勘違いしちゃうような感覚的なものって、変わらないと思っているんです。フライでそれをうまく表現するには、虫のある部分を強調して膨らませた方がいい、っていう考え方があるんです・・・・・その辺は先日なくなった「ストリームサイド」の勝俣健二さんに教わったんです。今でも覚えているのは、勝俣さんに「フライは雑に巻くんじゃなくて、ラフに巻くんだよ。ちょっと着崩してまくんだよ」って、いわれたんです。それを聞いて、この人は僕と全く同じ考えをもっているんだって、感動したんですよ」(フライフィッシャー、2005年11月号)。

 ここで言われているのは、つまり、精巧なフライではなく、魚に虫と思わせるうな部分を強調してフライを巻くという考え方だ。また、森村さんは「たとえば、豆腐を三角形に切って、梅干しを上に乗っけておいたら、遠くから見た人は、ショートケーキかって思うじゃないですか」といっているのも、重要だと思う。言い換えれば、模倣性よりもパッと見たときの暗示性の方がフライには大切だということである。
 
 僕は、この記事を読んでから、ハイパーリアリスティックなフライではなく、何かを強く暗示するフライこそが、釣れるフライの条件だと思うようになっていった。
 
 それは、森村氏の巻いたカディスのボックスの写真をみて決定的になった。また、鈴木寿さんのフライも大好きである。今にも飛び出してきそうなカディスやメイフライ(の毛針)たち。僕はこの二つの写真が大好きだ。

「生命感」=「信頼感」のあるフライ」
 そうしたフライは同時に強い「生命感」を宿している。それは、この毛針は釣れるという「信頼感」につながる。 そもそも、我々は、机の前やカメラの前でフライを使うのではない。刻々と状況の変化する川の中で、あの一匹をつるためにフライを巻く。このフライにはきっとでてくれる、そう信じられるフライには、常に生命感が漂う。
 
 そして、そういうフライを使っていれば、後はそれをどのような場所にどのようなタイミングでどのように投げ込むかが問題だ。そのように問題をシンプルにしておかなければ、とてもではないがフライフィッシングの現場は成立しない。革新的なフライを生産していることで著名なアメリカのMike Mercerは、「選択を間違ったフライでも、上手にキャストされたら、魚が釣れる。逆に、状況に完全にマッチしたフライが、間違ってキャストされたら、成功する可能性はあまりないだろう」(Mike Mercer, Creative Fly Tying, Wild River Press,2005)と言っている。この古くからある議論に対して、僕は全面的にマーサー側に賛成したい。しかし、Mercerも、フライなど何でもよいと言っているわけではない。それは「選択を間違ったフライ」(A Poorly Chosen fly)であって、「間違って巻かれたフライ」(A Poorly Dressed fly)ではない。もし彼に、「フライには生命感が重要である」といったらきっと賛成してくれるに違いない。
2.3 なぜ魚はそのフライをくわえるのか?Why Do they take them?

なぜ鱒たちはそのフライをくわえるのか
以上のように、フライフィッシングは毛針を使う釣りであると定義できるとして、さらにその毛針なるものがこの釣りを成立させる不可欠の要素であるとして、その毛針が一体何を「暗示」するのか、という問いはいまさらながらに重要である。

一般的な答えは、毛針が暗示するものは「餌」であるということになるのかもしれないが、事はそう簡単ではない。PeterLapsleyとCyrilBennettは、なぜ鱒はそのフライを加えるのかという問いに三つの答えを用意する。

1 彼らは毛針を「食べ物」(Food)と見なし、「空腹」(hungry)からフライをくわえる。
2 彼らは毛針を食べ物かもしれない(Edible)と思い、好奇心(out of curiosity)からくわえる。

3 彼らは毛針を敵あるいは部外者とみなし、自分の領分と安全を確保するために「攻撃心」(out of aggression)からくわえる。

(Pocket Guide to Matching the Hatch,Merlin Urwin Books,2010,p6)

 もちろん、これらの答えは魚たちから得られたものではない。あくまで人間の想像であるが、おそらく当たらずとも遠からずというところだろう。また、LapsleyとBennettは、1だけではなく、2、3の要素にも面白さ(Sportingness)を認めている。フライフィッシングの面白さは、変な毛針ものでも釣れるということにあることは僕も否定はしないが、これらの答えのうち、もっとも予測可能で合理的な方法は、空腹の鱒たちに彼らが食べている食べ物を模した毛針を投げることであることは論を待たない。そして、それこそがフライフィッシングのエッセンスであり、この釣りをする者を夢中にさせるものである。

やはり機能が重要
もっとも、1と2の境目が至極曖昧であることには注意が必要だろう。増沢信二氏は、名著『フライフィッシングマニュアル」において、「見た目」よりも「機能」が重要であるという慧眼というべき記述を残している。Joe Humpheryと同じ趣旨の指摘である。特にソフトハックルが、実のところ、カディスピューパと見た目にもそっくりになる瞬間があることを指摘しているのは(同書、24−25p)、スパーダーパターン大好きの僕としては本当に納得できる。また、アメリカのラルフカッターは、Bird'sNestというニンフパターンをダイビングカディスを暗示するフライとして多用している。このパターン、確かに良く効く。僕の9月の代表的パターンであり、それだけで水面上から底までを釣ることが出来る実に優れたパターンである。

 繰り返しになるが、僕が使う「暗示性」という概念は(LapsleyとBennettは、「模倣性」representationというが、暗示性suggestivenessという方が適当だと思える)、人間にとってのそれと鱒たちにとってのそれとは異なるものでると言うことを前提としている。ハイパーリアリスティックなだけの毛針は、往々にしてその目的を達成しないのであって、重要なのは鱒たちの視点に立った暗示性である。人間の側にたった「暗示性」は大抵自己満足に終わるものなのである。

2.4 暗示性の五つの論点 Five Points of Suggestiveness

前提としての「形」と「質感」
そういった暗示性に優れたフライには、欠くことのできない二つの前提があるように思う。

 一つ目のそれは「形」(Shape)である。フライは、その形で何かを暗示しなければならない。それが暗示すべきものは、その毛鉤の作り手の想像力の赴くままであるが、魚に「餌」か「餌らしきもの」と思ってもらえるものでなければならない。

 二つ目は「適切なマテリアルの使用」による「質感」だ。たとえば、バランスも崩れ、水中で絶妙にうごめくべき部位がカチカチの針金でできていたら、それはただの水中のゴミでしかない。

 もっとも、そういったバランスやマテリアルの選択は、おそらく虫をみて自分でたくさん巻いてみて、体得するしかないのだろう。僕はストマックポンプ反対論者だが、釣れない時はよく虫を探している。また、先述の森村、鈴木両氏、マイク・マーサー、Davie Mcphaileのフライが好きでよく参考にしている。少しはマシなフライが巻けるようになったのは、こういった経験の所産であることは間違いない。

暗示性の探求
それにくわえて、暗示性とは以下のような点をクリアすることで満たされるものだと思う。

 @「色」と「サイズ」が鱒の補食している/あるいは好んで補食している水生昆虫にマッチしていること。
 A「キラメキ」か「透明性」があること。
 Bドライやパラシュートタイプなどの水面上あるいは水面直下型のフライであれば「ライトパターン」が自然であること、ニンフであれば「動き」に注意すること。

 それぞれを簡単に説明したい。

「色」と「サイズ」
フライフィッシングを初めて一年もたてば、フライの「色」と「サイズ」が極めて重要であることに容易に気がつく。源流のイワナは何でも食べるとおもうのだが(ヤマメ主体の僕も少しはイワナの経験がある)、野生のヤマメ、ニジマス、あるいは里川でよく釣られる場所やC&R区間のスレ始めた魚は、色とサイズを間違えば、なかなか補食に至らない。それが僕の経験則である。
 
 2010年6月の日光湯川でのこと。あたりに少しカディスのハッチがみられ始めた昼まえ、青木橋の手前で明らかにピューパを追い食いしていると思われるライズフォームが盛んにみられ始めた。僕はそのとき息子と一緒にSparkle Floating Caddisの14番を数投投げてみたが、反応はなかった。そこで一気に2Xショートの16番の同フライ(18番相当)にしたところ、続けざまに三匹ほど釣れた。色はグリーンのアンダーボディにラスティのアントロン。これをほかの色に変えると全くダメだった。
 
 この経験は、それまでの僕の色とサイズに関する疑問を確信に変えてくれた。

「キラメキ」と「透明性」
以上のべた色とサイズがもっとも重要だと思うのだが、そこに「キラメキ」や「透明性」を加味することは、それがオーバードレッシングになっていなければ、大抵の場合いい結果を生むと言うのが僕の実感である。
 
 僕が、Sparkle PupaとFloationg Caddisに絶大な信頼を置いているのはそのためである。この二つのフライは、色とサイズを変えて常に常備しておくべきパターンだと僕は思う。これがあれば、エルクヘアカディスはいらないし、Xカディスもいらない。僕はXスパークルというオリジナル(といっても誰かが同じフライを絶対に使っていると思う)を考えて、多用しているが、Emergent Sparkle Pupaを考え出したGary Lafontineは、本当に天才だと思っている。
 
 また、Mike Mercer のTrigger Nymphもこの考えに基づいているものであるといえる。このパターンも必須だ。特にショートシャンクの16番と18番に、ピーコックのソラックスとターキーのセコンダリークイルでアブドメンを巻いたこのパターン(ボディの色はナチュラルがベスト。ウールの茶、ラスティ、オリーブで巻いた3種類も持っているが、色とサイズが合えばこれでも十分にいける)は、ヤマメに実によく利く。ただ、ヤマメにはビーズヘッドはない方が良いように思う。僕はよく黒のガン玉を針に瞬間接着剤でくっつけてヘッドにしてしまうが、これは20センチ前半クラスの日本の一般的なヤマメには効果的だ。なぜかはよくわからないけれども。

「ライトパターン」と「動き」
最後に、ここ数年僕が重視しているのは、ドライフライが水面に作る「ライトパターン」とニンフにおける「動き」である。
 
 これらの点も、明らかな釣果の違いを生むものだと実感している。たとえば、CDCダン。コカゲロウが補食されているとき、これは絶対的に釣れるパターンであるが、CDCが濡れて意図した浮き方(水面にへばりつくような浮き方)をしなくなると、CDCダンは突然全く釣れないフライに変貌する。一匹釣れたCDCダンを十分に復活させないで投げた結果、釣れるはずの魚をスプークさせてしまったことは一度や二度ではない。
 
 また、パラシュート型のつり下がりパターンとウィングにスチロールを使ったタシロフローティングニンフが時に釣果の違いを生むことがあるが、それも明らかに「ライトパターン」の違いから生まれるものだと僕は思っている。僕は、クリンクハマーと田代フローティングニンフ、それにエルクヘアーのウィング(殆どコンパラダンのようなもの)を用いているが、大体このいずれかで決着がつくものだ。

 次に、ニンフの「動き」についてであるが、これはソフトハックルにもいえることだ。Mike Hardingは、ソフトハックルは波にもまれるように演出することがキモなのだといっているが、確かにそうした動きこそソフトハックルの要点なのだろう。ニンフの達人であるJoe Humphreyはこの「動き」にたいして、興味深い次のようなアドバイスを残している。

もし、水生昆虫が水槽で羽化する様子をみたことがあるならば、それは忘れがたい光景のはずだ。羽化のために彼らは何とかして水面に出ようともがくのだが、川の底から水面に到達して羽化するまで、揺れたり、脈打ったり、波打ったり、ギルを靡かせたりと、鱒たちの補食スイッチを入れるような持続した動きを見せる。ビニールやプラスティック、宇宙時代の新素材でリアルなニンフを模倣しても、どっちつかずの結果にしかならない。動きこそが鱒たちの補食という反応を刺激するのであって、おおかたのリアルイミテーションフライは、この動きに欠けているのである」(Joe Humphreys, Trout Tactics,Stackpole,1981)
(End 6April 2012)